先日、『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治 著/新潮新書)という本を読みました。
医療少年院で働いていた著者が凶悪犯罪の非行少年に「ここに丸いケーキがあります。3人でみんな平等に食べるとしたらどうやって切りますか?」という質問をしたところ、ずっと悩み続けて3等分に切り分けることができなかったそうです。
このことが何を意味するかというと、非行少年には一般的な人が持っている認知機能に歪みがあるケースがあるということです。
例えば、ある子どもが友達に暴力をふるってしまった時に、大人が「暴力をふるうことは相手を傷つけて不快な思いをさせてしまうからよくない」としっかりと注意すると、それをちゃんと理解をして反省をする子もいれば、一方で全く理解を示そうとせずむしろそうしたそうした悪行がエスカレートしてしまう子どももいます。
その違いがなぜ生まれるのかと言えば、脳が持っている「認知機能」に違いがあるからです。
一般的な認知を持っていれば、誰かに注意されたことを脳の中で正しく整理して、理解して自分の行動を反省することができます。
しかしこの認知機能に歪みが生じていて、例えば「すべて自分に起こる出来事は、周りのせいで、他者は自分を攻撃してくる存在」だという認識をしている子がいたとすれば、
そもそも相手に危害を加えることはその子にとれば自分の認知に従った行動であり、
また他者から注意されたり怒られたりすることも、自分に対する攻撃だと認知することになります。そしてそのことがさらなる自己防衛のための悪行に向かう状況を生み出してしまうこともあるのです。
ケーキを切り分けることができないという一見すると非常に小さな事象が、これだけ大きな問題をはらんでいるわけです。
親や教師は、注意をしても言うことを聞かない子どもたちの対応をもっと真剣に考えなければいけません。
いくら言っても言うことを聞かない子は、その子が悪いのではなくて、その子の認知機能に問題があるのかもしれません。
では、注意をしても言うことを聞かない子どもにたいしてどう対応していけばよいのでしょうか。
本の中で、人間が誤った行動を改めるために次の2つの要素が重要だと述べています。
「自己への気づき」
「自己評価の向上」
子どもが誤った行動をとったとき、最終的にその子自身が自分のやったことを振り返り反省しない限り、いくら注意したり怒鳴ったりしてもほとんど意味がありません。
一度注意したり怒ったりして行動を改められる子は、単純にそのことをきっかけとして自己反省ができる子であるということです。
だれもが注意されたり怒られたりすることによって自己反省するというものではありません。
だからどういう言葉がけやどういう反応を大人がしていけば、誤った行動をとってしまった子どもたちを自己反省へと導いていけるのかということを考えることが必要になります。
それが、怒鳴ることかもしれませんし、優しい言葉で諭すことかもしれませんし、またそれは時に温かく黙って見守ることかもしれません。
普段の子どもの行動や反応の中からその子の認知の様子を大人が感じ取り、その認知にあった働きかけをしていくことが大人には求められます。
『ケーキを切れない非行少年たち』は、そんなことを考えさせられる一冊でした。
リトルステップ 渡部岳(わたなべがく)
投稿者プロフィール
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リトルステップで学習塾を担当している渡辺です。
高畑小学校→道塚小学校→六郷中学校→東京高等学校→明治大学政治経済学部。
大学では『都市政策』専門家の市川宏雄教授のもとでゼミ活動を行い、その中で大田区長に対して「大田区の外国人観光客向け観光プラン」の政策提言を行いました。また、文学部で教職員課程の教授でもある齋藤孝教授から2年間教育方法・授業論等を学び、その教えを基に現在教育活動を行っています。
2019年3月まで学校現場でクラス担任をやっていて、現在も非常勤講師として学校現場に携わっています。
学校と塾と家庭の連携を図り、子どもたちをより良い進路へと導いていけるように最善を尽くします。よろしくお願い致します。
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