大切な「国語力」!

私は普段中学生の授業で、「国語」を多く担当しているのですが、
国語という教科は他の教科で良い点数をとるためにも、また将来社会人として生きていくうえでもとても大切な教科だと思っています。

例えば、英語で長文問題を解くにしても、仮に英語の意味がつかめたとしても、その英文の文章の構成や文脈などをしっかりと把握していないと解けない問題が多くあります。
こうした文章構成や文脈はいうまでもなく、「国語」という教科で身に付けるものです。

また「理科」や「社会」の教科でも、難しい言葉やある事象の因果関係を読み取る力は、やはり「国語」で身に付ける能力であるのです。

すなわち、「国語」の点数が上がれば、自ずと他の教科の点数も上がっていく。
これが私の持論としてあります。

さらに、国語力は何も学校や受験で良い成績をとるためだけにあるのではありません。

「国語」は、いつ、どんな時でも、だれとでも、円滑で良好なコミュニケーションをとるためのものでもあるのです。

これは社会人として生きるうえでとても大切な能力ですね。

もしも、国語力のない人同士が一緒になったらどうなるでしょうか。

おそらく、たまたま同じ意見・考え方で、たまたま気の合う人であったとすれば、良好な関係を築くことができるかもしれませんが、自分とは全く違う意見・考え方の人だったとすれば、お互いにお互いのことを全く理解できず、嫌気がさして、関係はきっとギスギスしたものになっていくことでしょう。

これが、単なるプライベートの関係なら良いかもしれませんが、仕事上の関係であるならば大問題です。

お互いにうまくコミュニケーションが図れないまま仕事が進んでいき、大きなミスを犯してしまう危険性が非常に高まります。

そうならないために必要なのが「国語力」なのです。

自分の主観では理解できないことを、一度客観的にみてみて理解しようとする力。
その客観的に判断・理解したことを基にして相手の主観に入り込んでいき、相手とうまくコミュニケーションを取ろうとする力。

これらがすべて国語力です。

もちろん、どんなに相手のことを理解しようとしたとしても、100%理解することは不可能なことです。
おそらくその人でなければその人のことを100%理解することは絶対にできないでしょう。

でも、「こういう文脈で、こういう話の構成で、こういう表情や行動で、こういう言葉の使い方をしているから、きっとこの人はこういう考え・気持ちだろう」と、あらゆることを総合的に判断して、その人の意見・主張・考えをある程度推測し、読み解くことはできるはずです。

そして、読み取ったことを基にして、自分はその人にどんな態度で、どんな言葉で、どんな表情で、何を伝えたら、自分の思いや気持ちを伝えることができて、円滑にコミュニケーションをとっていけるのかを考える。
これがまさに社会人に求められるコミュニケーションのありかたです。

こうした能力を身に付けるために絶対的に必要なのが「国語」という教科なのですね。

私の「国語」の授業では、社会に出たときにも使える「国語」ということを念頭に置き、文脈を捕らえる力、文章の構成を考える力、筆者の意見・主張を読み取る力、相手の気持ちを読み取る力、などを身に付けることを心掛けています。


みなさんも大人になって社会に出る前に、もっと学校での「国語」の授業を大切にし、自らたくさんの文章に触れる機会をつくって、どんどん「国語力」を身に付けていってください。

リトルステップ 塾担当 渡部岳(わたなべがく

投稿者プロフィール

watanabe
watanabeリトルステップ塾講師
リトルステップで学習塾を担当している渡辺です。
高畑小学校→道塚小学校→六郷中学校→東京高等学校→明治大学政治経済学部。
大学では『都市政策』専門家の市川宏雄教授のもとでゼミ活動を行い、その中で大田区長に対して「大田区の外国人観光客向け観光プラン」の政策提言を行いました。また、文学部で教職員課程の教授でもある齋藤孝教授から2年間教育方法・授業論等を学び、その教えを基に現在教育活動を行っています。
2019年3月まで学校現場でクラス担任をやっていて、現在も非常勤講師として学校現場に携わっています。
学校と塾と家庭の連携を図り、子どもたちをより良い進路へと導いていけるように最善を尽くします。よろしくお願い致します。